コンセプト
世界の古代文明は、
メソポタミアのチグリス、
ユウフラテス川、
インドのインダス川、
エジプトのナイル川など、
河川のある肥沃な平野から
始まりました。
人体にとっても水が
必要であるのに似て、
都市を形成する文明にも
水が必要であったのですね。
そうです、地球は「水の惑星」なのです。
文明と水の関係は、子供たちの好きなテーマパークにも共通しています。
幼児教育をウォーターフロントから、自然に、都市に、
テーマパークにひろげてみましょう。
古代ローマの水の橋
古代の文明は、人々に大きな恵みをもたらす大河の流域から始まりました。
生活にとって水の活用がいかに大切であったかは、繁栄をきわめたローマ帝国に
すぐれた上下水道が2000年も前に完備されていたことを示す
施設の遺跡からも、うかがえます。
セゴビア(スペイン)にある水道橋はローマの土木技術の優秀さを示して有名で、
アーチを組み合わせた二層の水路は川や谷を越えて、
1日に3億リットルの水を400キロにわたって住民に供給していました。
ウォーターフロント都市
現代の主なウォーターフロント都市には、
アメリカのボルティモアやイギリスのドックランスがあります。
ボルティモアでは、埠頭や倉庫や商業施設がさびれ果てていましたが、
50年前から臨海公園や公共リクレーション施設やレジャー拠点として
30年がかりでつくりあげ、年間2000万人を集める都市にまで発展しました。
一方、イギリスでは、ロンドンシティ空港からテームズ川の一帯は、
サッチャー政権の民活路線も受けて、
1980年から国際ビジネス機能も含め近代的なアメニティに発展しました。
日本では、都市におけるウォーターフロントは、
1981年の神戸ポートアイランド博以降、首都圏での佃島の天王洲、お台場、有明、
汐留の広範囲ですすめられています。
新橋から、ゆりかもめに乗ると、まるで建築の夢の国のような
さまざまな建物を海といっしょにゆっくり眺められます。
そのほか、横浜のみなとみらい地区などでも大規模な開発がすめられています。
子供たちのテーマパークTDL
千葉のウォーターフロントに広がる東京ディズニーランドですが、
45度で滝壷に急降下するスリル満点のスプラッシュ・マウンテンや、
蒸気船マークトウェン号のクルーズなど、場内にも大量の水で演出されています。
約20年あとで誕生した東京ディズニーシーは文字通り水の世界です。
東京ウォーターフロント計画
その東京に30年先を見越した東京ウォーターフロント構想が立ち上がっています。
かつては、江戸は隅田川、浅草、両国などの中心部は2割を水路が占め、
水の都ヴェネチアにたとえられたほどです。
当時の浮世絵には水と庶民の賑いが生き生きと描かれています。
戦後の経済発展や東京オリンピックなど作られた高速道路が
街を覆って人が住む魅力を失っています。
高速道路を撤去し、天王洲、お台場など臨海部の発展や
東京ディズニーランドリゾートも視野に入れて、
羽田から浅草、両国を結ぶ水路を中心に、江戸川、隅田川、横浜にひろがる、
東京の水辺空間の魅力を向上させようという壮大な計画です。
水の都会をめざしていた江戸時代の名古屋
名古屋の町には堀川が南北にあり、
かつてその貧しい暗さが名作「泥の河」の舞台にもなりましたが、
水がよどんで流れず、浄化の試みがなされています。
2007年に多くの市民が参加した調査では、
堀川の透明度が改善傾向にあるということです。
かつては名古屋城から伊勢湾の河口まで、見所をつらね、
漁船や運搬船が行き交う堀川であった様子を大胆に描いた
江戸末期の屏風(松吉樵渓筆)が見つかりました。
また、尾張徳川家の史書を所蔵する蓬左文庫から江戸時代初期の絵画が見つかり、名古屋の中心部栄を東西に貫く広小路通りを現在の3倍以上、
幅40メートルの大運河を通す計画があったことがわかりました。
広小路通りに、せせらぎを
江戸時代ほどのスケールには及びませんが、
いま広小路通りにささやかなせせらぎを流そうという計画が始まりました。
栄から伏見の800mの車道を4車線から2車線に減らして歩道を広げ、
幅50センチのせせらぎをつくり、堀川に流して浄化にも役立てようとするものです。
もっとも賛否両論がありますが、バブルや都市化や車社会で失った、
人々がプロムナードを楽しめる人間的な顔を街に取り戻そうという計画です。
親子でそぞろ歩きをたのしめる憩いの街になるといいですね。

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